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割ヶ嶽城跡

カテゴリー:城・館 | ◇アクセス


遠景


近景

 読みは「わりがたけじょうあと」。上水内郡信濃町富濃柴津。
信濃町と飯山を結ぶ東西の道と、新潟県から信濃町古海地区を経て牟礼(飯綱町)への道が交差する交通の要衝にあたり、戦国時代、信越国境における重要な軍事拠点となった城。在地領主だった柴津(しばつ)氏の城であったとの伝承がある。

 永禄4年(1561)5月には大森掃部助(おおもりかもんのすけ)が、割ヶ嶽城攻めの功績により、武田信玄に所領を安堵された。

 『甲越信戦録』の中では、永禄4年(1561)5月、上杉謙信が上洛したとき、武田信玄は停戦条約に背いて越後方面に兵を進め、割ヶ嶽城を攻めた。武田方の多田淡路守、浦野民部左衛門・原美濃守を先陣として戦い、激闘の末、城を陥落させた。謙信は信玄の卑劣な行為に激怒し、1万3千の兵を率いて信濃に出陣。信玄との直戦を決して第4次川中島の戦いに挑んだ。

 なお、永禄7年(1564)、野尻城をめぐって甲越両軍の争奪戦が展開されたが、一説にこのときの「野尻城」は割ヶ嶽城ではないかともいわれている。

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