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真理姫五輪の塔(木曽町)

真理姫は、木曽家十九代義昌の夫人である。夫人は甲斐の武田晴信(信玄)の三女で、勝頼の妹でもあるが、戦国の世に生まれ、数奇な一生を過ごし、この地で亡くなっている。

●弘治元年(1555)武田晴信は、木曽へ侵攻し木曽義康(十八代)は、利あらず降伏する。晴信はこれを許し、当時十六才の義昌に、幼少六才の三女真理姫をめとわせて、木曽氏を武田一門の親族衆に加えた。これ以来真理姫は木曽義昌夫人となる。

●天正元年(1573)晴信卒し、勝頼の代となる。

●天正三年(1575)勝頼は、長篠の戦いで織田・徳川の連合軍に大敗し、武田氏の勢力俄に衰える。

●天正十年(1582)一月、夫人真理姫は義昌離反を勝頼に内報する。勝頼大いに怒り木曽へ武将を派遣し攻めるも、義昌これを鳥居峠で破る。二月には勝頼自身出兵し、再び木曽。織田連合軍に敗れ去る。ついで甲斐を攻略され、部下将兵も離反し勝頼天目山で自刃し、武田氏ついに亡ぶ。

●天正十八年(1590)木曽は豊臣秀吉領となり、木曽氏は下総網戸へ、わずか一万石の領主として移封された。

●慶長元年(1596)義昌の長子義利(二十代)は、暗愚のため、木曽家は家康により没収、お取潰しとなる。

●夫人真理姫は、三男三女の母となっていたが、末子善通(義一)をつれ、三岳村野口の上村作右衛門に身をよせ、隠棲しながらも、木曽谷の士豪にはかり、木曽家再興を念願したが、時代の流れは大きく変わり、果たせなかった。

●正保四年(1647)7月7日真理姫は、九十八才の長い一生をこの地で終えたと伝えられている。

2007/01/06
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