善光寺の北西、裾花川を挟んで上杉軍の葛山城跡と向かい合い、たびたび両軍による城の争奪戦が繰り広げられました。
北信濃の有力者であった善光寺別当の栗田鶴寿が立てこもり、信玄が援軍と鉄砲三百丁を送り届けたとされています。
長野市民の山と言ったら、庶民派ではこの旭山ではないでしょか。 長野県庁からのピラミダルな姿は立派。 近年松枯れの被害が多いと聞きますが、この旭山も例外ではなく急速に松の巨木が減ってきています。しかし減ったといっても山中に入ると戦国時代と変わらないであろう自然の豊かさが残っているように感じました。当時を思わせるようなものは特に見つかりませんが、山頂からの景色だけは戦国武将の見たものとなんら変わらぬ景色でした。
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