石碑から南方平坦地一帯は室町時代後期からの上原城諏訪氏館跡(面積約1ヘクタール)で、戦国時代の天文十一年(1542)七月、武田晴信(信玄)により諏訪領主・諏訪頼重が滅ぼされて以降、武田氏の諏訪郡代(初代・板垣信方)の邸が造立された。そして天正十年(1582)三月までの四十年間、武田氏の諏訪統治の拠点となった所です。
今日でもこの地籍は字名を「板垣平」と呼んでいます。