天正三年(1573)五月、武田勝頼公は大軍を率いて、三州街道を南下、織田・徳川の連合軍と、長篠の設楽原で戦い、壊滅的な打撃を受けた。
そして、ただ一騎落ちてくるところを坂部の郷士、熊谷治部介直定が案内し、そのころまで三河と信濃の国境であった、この赤坂にたどりつく。
この石に腰をかけ、一休みしている処へ、後を追って、伯父の信重公と初鹿伝右衛門、小山弥助、土屋宗蔵等が駆けつけた。
一方、程近い滝の澤に、大老高坂弾正忠殿が、甲府より三百騎を率いて到着したと聞き、心身とも、ゆるりと腰をかけたという。