此の峠を兵越峠と名づけたのは武田信玄が、上洛を志し、元亀三年(1573)十月三日(新暦十一月十八日)約3万5千の大軍を率いて信濃国遠山領を通って、青崩峠の少し手前で分隊し、一隊はこの兵越峠を越したと言われている。
毎年十月、信州軍(長野県飯田市/旧南信濃村)と遠州軍(静岡県浜松市/旧水窪町)に分かれて「国境」をかけて綱引きで対決する「峠の国盗り綱引き合戦」が行われています。