瀬沢合戦とは、「甲陽軍艦」によればおよそ次のような合戦のことである。
天文十一年(1542)二月、信濃の小笠原・諏訪・村上・木曽の四大将は甲斐の武田晴信(信玄)を攻めようと合議し、甲信境の瀬沢に陣取った。この動きを察知していた晴信はひそかに軍勢を発し、三月九日朝、信濃勢の不意をついた。戦いは辰の刻(午前八時)に始まり未の刻(午後二時)に終わり、武田軍は信濃方1,621を討ち取って大勝したが、味方にも多数の死傷者を出した。
その戦場となったのは、瀬沢を中心に新田原から横吹におよぶ広い範囲と考えられる。(富士見町教育委員会)