'07信州キャンペーン 「信州・風林火山」
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松本・安曇エリア
林城跡(松本市)

小笠原氏の本城。天文十九(一五五〇)年、長時が信玄に破れて敗走するまで、この勢力は二百年におよびました。武田氏によって廃城となりますが、大城、小城が一対となった遺構を見ることができます。

2007/02/06
仁科神明宮[にしなしんめいぐう](大町市)

日本最古の神明造りの建造物で、本殿、中門、釣屋は、国宝に指定されています。安曇野地方を治めた正統仁科氏を滅した後、名族を惜しんだ信玄が五男・盛信にその姓を継がせました。

2007/02/06
塩の道

松本から糸魚川を結ぶ120キロあまりの道は、いつの頃からか「塩の道・千国街道」と呼ばれるようになりました。謙信が川中島の合戦で宿敵信玄に、牛馬の隊列を整えて塩を送った『敵に塩を送る」という美談で知られるのもこの街道のことです。塩の道は古道として今でもいくつも残っています。

2007/02/06
塩尻峠(塩尻市)

信玄の信濃攻略の大きな転機となった小笠原長時との合戦がここで繰り広げられました。塩尻峠に陣を敷いていた長時の軍勢は五千。武田軍は大井の森までゆっくりと進軍してきたため、戦の開始までまだ余裕があろうと小笠原軍は油断してしまいました。ところが夜明けとともに信玄は一挙に塩尻峠に奇襲をかけ、敵に致命的な打撃を与えたのです。

現在柿沢地区には、武田軍により首実検にされた戦死者を村人が埋葬した首塚・胴塚が残されています。長時はこの合戦以降、信玄に負け続け、林城、深志城を明け渡し、村上義清を頼ることになりました。

2007/01/06
松本城[深志城](松本市)

小笠原長時を破り松本平を手中にした信玄は、府中松本にあった深志城に注目して大改修を行った。武田氏滅亡後、長時の長男貞慶が入城し、城下町を広げて天正年間に松本城と改称した。その後、石川数正が入り、天守、櫓を建てて、現在見られる松本城が完成した。近年は太鼓門が128年ぶりに復元されるなど整備が進んでいる。

城下町松本を巡るのに便利なのが、1回100円で乗車できる周遊バス。松本城、謙信が信玄に塩を送った故事にちなんだ牛つなぎ石、蔵の町中町通り、善光寺道名所図会に当国第一の名水として紹介される源智の井戸などをカバーしている。

2007/01/06
平倉城跡[小谷城跡](小谷村)

上段、中段、下段の三段式の築城。上杉によって城を守っていた飯森盛春は、信玄の武将山県昌景に攻められて討ち死に、城は落ちた。その際、武田方では残党狩りを行い男は皆切ってしまったとの伝説をもつ「切った屋敷跡」などが残る。城跡の下を流れる中谷川を雨飾山方面へとさかのぼれば山間の“いで湯”小谷温泉に至る。

2007/01/06