'07信州キャンペーン 「信州・風林火山」
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上田エリア
真田氏本城跡(上田市)

松尾城ともいわれ、真田昌幸が上田城に移るまで、真田氏の本城と推定される。南西にゆるやかに広がる一帯には土塁や郭後が残り、散策にも最適。

2007/03/13
無名戦士の墓(上田市)

付近の水田の畦に散在していたものを集めたもの

2007/03/13
屋代源吾の墓(上田市)

天文十七年(1548)、甲斐の武田晴信(信玄)と信濃の村上義清が上田原の地で対決した上田原の戦いは、村上軍の攻撃により武田軍の武将板垣信方、甘利虎泰らが戦死し、大将の晴信も傷を負い武田軍が大敗した。村上軍も屋代源吾、小島権兵衛、雨宮刑部などの重臣が、この戦いで戦死したと伝えられている。

屋代源吾は、屋代城主であった屋代政国の長子であるが、この地で戦死したと伝えられる。

2007/03/13
雨宮刑部の墓(上田市)

天文十七年(1548)二月、甲斐の武田晴信(後の信玄)は、大軍を率いて、小県郡に攻め込んだ。地元葛尾城主村上義清はこれを迎え討ち、同月十四日この地で激しい合戦が行われた。この戦いで武田軍は破れ、重臣板垣信方、甘利虎泰等が討死、晴信も傷を負ったが、村上軍も雨宮刑部、屋代源吾、小島権兵衛等が討死し、決定的な勝利を得ることができなかった。

2007/03/13
小島権兵衛の墓(上田市)

天文十七年(1548)二月、甲斐の武田晴信(後の信玄)は、大軍を率いて、小県郡に攻め込んだ。地元葛尾城主村上義清はこれを迎え討ち、同月十四日この地で激しい合戦が行われた。この戦いで武田軍は破れ、重臣板垣信方、甘利虎泰等が討死、晴信も傷を負ったが、村上軍も雨宮刑部、屋代源吾、小島権兵衛等が討死し、決定的な勝利を得ることができなかった。

2007/03/13
板垣信方の墓[いたがきのぶかたのはか](上田市)

信玄の重臣で勘助を庇護した板垣信方のお墓が板垣神社にあります。

2007/02/06
砥石城跡[といしじょうあと](上田市)

信玄の屈辱的敗戦の舞台は、そそり立つ岸壁上の山城でした。

城跡からは、上田市街と真田の町並みを一望できます。

2007/02/06
真田氏歴史館(上田市)

重要文化財の「青江の大太刀」を始め真田家家宝の武具、調度品、文書、美術品などを所蔵。

一帯はお屋敷公園として整備されており、歴史ファンならずとも必見です。

2007/02/06
長谷寺[ちょうこくじ](上田市)

真田幸隆が開いたお寺で、昌幸の時代に真田家の菩提寺となりました。

2007/02/06
塩田城跡(上田市)

村上義清の最後の砦、そして信玄の信濃、越後侵攻の基地ともなった城です。

2007/02/06
坂木宿 ふるさと歴史館(坂城町)

昭和4年建築の木造3階建ての建物を整備し、1階には川中島合戦図屏風や義清直筆文書などの村上義清公関連や信濃村上氏の展示品を備え、2階については坂木村の宿場指定を示す朱印状などの北国街道に関する展示となっている。

しなの鉄道坂城駅下車 徒歩3分。バスの駐車可。

2007/01/10
葛尾城(坂城町)

村上義清公の居城は、山城である葛尾城となっている。ふもとの坂城神社から往復約2時間のトレッキングができる。

東側の尾根づたいに幾つもの堀切跡が残り、当時の山城の険しさが伺える。また、城跡から眼下に千曲川を望む眺望は雄大。

2007/01/10
村上義清公供養塔(坂城町)

村上義清公は、川中島合戦後、越後に移り、73歳で没したと伝えられている。義清公の供養塔は、江戸時代、坂木代官長谷川安左衛門らによって建立されている。

しなの鉄道坂城駅下車 徒歩10分。バスの駐車は困難。

2007/01/10
満泉寺(村上義清居館跡、坂城町)

村上義清公に代表される村上氏代々の菩提寺で、村上氏の居館跡に移築されたもの。

しなの鉄道坂城駅下車 徒歩10分。バスの駐車は困難。

2007/01/10
笄の渡し(坂城町)

読みは「こうがいのわたし」。
坂城町と千曲市との境界に係る橋で、村上義清公の居城の葛尾城が陥落し、奥方が逃げ延びる際の話から名づけられたもの。

天文22年(1553年)4月、武田軍の調略にもはやこれまでと悟った村上義清は、越後の長尾景虎(後の上杉謙信)を頼って密かに落ちのびることを決意。しかし、周りを敵に囲まれた状況で、とても奥方を連れてはいけなかった。そこで仕方なく奥方は千曲川を挟んで対岸にある東国寺に逃げ込み、仏門に帰依して俗世との関わりを断ち、武田方に捕らわれることから逃れようと考えた。

義清の奥方は、数人の腰元と着のみ着のまま暗い山道をくだり、荒砥城を目指したが、一行の前には、雪解けの水を満々とした千曲川が広がっていた。

敗軍の将の奥方を逃がす手伝いをすると、後に咎められることになってしまうことを心配して、向こう岸に渡るための舟を出してくれる船頭はなかなかみつからなかったが、懸命に説得したところ、ひとりの船頭が、戦いの最中にもかかわらず舟を出してくれた。

我が身の危険をかえりみず、舟で渡してくれた船頭に、奥方は心を打たれ、お礼として髪にさしていた笄(※)を手渡したと言われている。

※こうがい=髪をかき上げるのに使った、箸[はし]に似た細長い道具。主に銀・象牙などで作られた。

2007/01/10
耕雲寺(坂城町)

耕雲寺は、室町時代末期から安土桃山時代の創建とされ、甲州耕雲寺系といわれている。武田信玄・勝頼の篤い保護を受け、寺名も信玄が名づけたと伝えられている。山門に通じる道には、杉並木が広がる。

しなの鉄道テクノさかき駅下車、車10分。

2007/01/10
上田原古戦場碑(上田市)

千曲川左岸に広がる上田原は、都市化に伴って急速に姿を変えつつある。それでも新幹道路を一歩奥に入れば田園地帯が広がり、標識も整備されていて歴史ウォークが楽しめる。武田軍と村上軍の壮絶な戦いを今に伝える古戦場公園と、上田原一帯を見渡せる千曲公園はぜひ訪れたい。

信玄の重臣で勘助を庇護した板垣信方の墓には、信方が愛煙家だったとの言い伝えからタバコを供えると願い事がかなうともいわれている。観音寺は討ち死にした将兵をまつる。周辺には村上軍の将・雨宮刑部、屋代源吾基綱、小島権兵衛の墓が田園の中に建つ。

2007/01/06
生島足島神社(上田市)

川中島の戦いを前に、信玄が戦勝と謙信滅亡を祈願した古社。信玄が家臣の武将らに忠誠を誓わせた起請文も県宝の歌舞伎舞台に展示されている。下社脇の夫婦欅は真田信之と小松姫の夫婦愛の象徴であり、子宝安産・夫婦円満・延命長寿のご神木として崇められている。

2007/01/06
荒砥城跡(千曲市)

葛尾城と千曲川を挟んで対岸に位置する城で、村上氏一族の山田氏の居城といわれる。この城をめぐって、武田、上杉の戦いが繰り広げられた。現在、櫓や矢倉、冠木門などが復元され、千曲川を見下ろす史跡公園になっている。

大河ドラマ「風林火山」のロケで実際に撮影に使用され、劇中では武田晴信の初陣の場所「海ノ口城」として登場。(2月25日放送第8回「奇襲!海ノ口城」)

2007/01/06