'07信州キャンペーン 「信州・風林火山」
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「風林火山」インフォメーション
和田城(飯田市)

本城は遠山氏三代の本拠をもった遠山景広が築城した城で西南より南に続く平場で前面は遠山川を見下ろし伊那山脈の南端をなす。後面は赤石連峰があり、四方を山で囲む遠山谷の中でもっとも広い和田平野の中心に位置している。

2007/03/13
枡形城跡(茅野市)

2007/03/13
上原城跡(茅野市)

諏訪地方を治めた諏訪氏の五代七十余年にわたっての居城。諏訪氏滅亡のあと、武田氏が信濃支配の拠点とするも、天正十年に廃城。現在は、主郭、土塁、二の郭などの遺構が残っています。県史跡。

2007/02/06
桑原城跡(諏訪市)

上原城の支城。信玄に上原城を追われた諏訪頼重が後詰めとして最後に逃れ、降伏した場所が桑原城でした。城跡は県史跡に指定されています。主郭からは諏訪盆地が一望できます。

2007/02/06
福与城址(箕輪町)

諏訪氏一族、藤沢頼親の居城。天竜川の段丘を利用した堅固な城で、伊那谷攻略をめざす武田軍約二万人に対し、城主・藤原頼親は五十日間にわたり善戦しました。

2007/02/06
神之峰城跡[かんのみねじょうあと](飯田市)

諏訪家の分流で下伊那に勢力を張った知久頼元の居城でしたが、天文二十三(一五四四)年、信玄の攻略を防ぐことかなわずに落城しました。

2007/02/06
松尾城跡(飯田市)

城主の小笠原信嶺は、林城の長時、鈴岡城の信定と同族の小笠原三家の一人。天文二十三(一五四四)年に信玄の攻撃を受けて降服しました。

2007/02/06
鈴岡城跡(飯田市)

松尾城を治める同族の信嶺が信玄に従ったのに対し、鈴岡城の小笠原信定は信玄に決戦を挑んで敗れました。以後、城は松尾の支城として用いられ、天正十八(一五九〇)年に廃城になりました。

2007/02/06
福島城跡(木曽町)

木曽義康・義昌が本拠をおいた城。本城があった上之段地区は中山道の宿場風情が残っています。町を見下ろす福島城跡へは、自然遊歩道が通じています。

2007/02/06
林城跡(松本市)

小笠原氏の本城。天文十九(一五五〇)年、長時が信玄に破れて敗走するまで、この勢力は二百年におよびました。武田氏によって廃城となりますが、大城、小城が一対となった遺構を見ることができます。

2007/02/06
海ノ口城跡[うんのくちじょうあと](南牧村)

若き信玄が初陣を飾ったといわれる、佐久の豪族平賀源心の城。

諏訪、村上、小笠原らの支援により形勢不利になった父・信虎から、撤退時のしんがりを任された信玄が奇襲をかけて城を落としたことで知られています。

2007/02/06
内山城跡(佐久市)

佐久地方の要衝に築かれた、佐久の豪族大井氏の城。天文十五(一五四六)年、信玄は大井貞清を兵糧攻めにして降伏させました。

2007/02/06
小田井城址[おたいじょうし](御代田町)

信玄の重臣、板垣信方を先陣として攻め込む武田軍を相手に、城主・小田井又五郎が奮戦するも武運つたなく、城兵全員が討ち取られてしまいました。

2007/02/06
志賀城跡(佐久市)

天文十六(一五四七)年、信玄と佐久地方最後の砦となる志賀城主・笠原清繁との戦いは壮絶を極めたといわれます。後詰めを頼んだ上野国の上杉憲政は三千の軍勢を送りましたが、信玄は志賀城を包囲させたまま、上杉軍を迎撃。小田井原でこれを破り、討ち取った三千もの首を志賀城の周囲に架けて威嚇したと伝えられます。

清繁の首塚が城の近くの水田に残されています。

2007/02/06
砥石城跡[といしじょうあと](上田市)

信玄の屈辱的敗戦の舞台は、そそり立つ岸壁上の山城でした。

城跡からは、上田市街と真田の町並みを一望できます。

2007/02/06
塩田城跡(上田市)

村上義清の最後の砦、そして信玄の信濃、越後侵攻の基地ともなった城です。

2007/02/06
替佐城址[かえさじょうし](中野市)

千曲川をはさんで建てられた壁田城、替佐城の二つの城は、武田軍の最前線拠点として互いに連携しあい、上杉勢を大いに悩ませました。

2007/02/06
壁田城址[へきだじょうし](中野市)

壁田城は、千曲川をはさんで建てられた替佐城とともに武田軍の最前線拠点として互いに連携しあい、上杉勢を大いに悩ませました。

2007/02/06
高梨氏城跡〔居館・山城〕(中野市)

山麓の緩やかな扇状地に築かれた高梨氏の本拠。中野小舘と呼ばれ、長野県の指定史跡として発掘・整備され、「高梨館跡公園」となっています。土塁や堀、建物跡、井戸跡、石で造られた水路(側面は石、床は土)、そして庭園などがほぼそのまま残されています。

2007/02/06
野尻湖城跡

永禄七(一五六四)年、信玄は謙信の関東出兵に乗じ、越後国境の野尻湖城まで攻め上がります。謙信はすかさず城を奪還。その勢いで川中島に進軍し、塩崎で対峙しました。しかし両軍一戦も交えることなく撤退。これが最後の川中島の戦いとなりました。

2007/02/06
牧之島城跡(信州新町)

犀川の断崖上に香坂氏が築いた牧城を、信玄が攻略後に山本勘助の甲州流築城術によって、馬場信房に縄張りをさせて牧之島城としました。

2007/02/06
旭山城跡(長野市)

善光寺の北西、裾花川を挟んで上杉軍の葛山城跡と向かい合い、たびたび両軍による城の争奪戦が繰り広げられました。

北信濃の有力者であった善光寺別当の栗田鶴寿が立てこもり、信玄が援軍と鉄砲三百丁を送り届けたとされています。

2007/02/06
大島城跡・台城公園(松川町)

平安末期、船山城主片桐為行の第8子・大島八郎宗綱が分地し、大島郷を領した。その後、大島氏が代々この地を領し、大島城を始め北の城や沼の城を築いた。元亀2年(1570)武田信玄が飯田城代秋山信友に命じ、上洛の拠点とするため城を大修築した。天正10年(1582)織田信長が伊那に侵攻し飯田城を落としたため、武田勢は伊那の勢力を大島城に集結させたが、守将武田信康は大島城を捨てて甲斐に敗走したため落城した。

現在は都市計画公園として整備されて、4月下旬から5月中旬には、大小紅白紫のキリシマツツジが園内に5000本程咲きほこり、5月のゴールデンウィーク中には「台城つつじまつり」が盛大に行われます。


問い合わせ先
 松川町役場産業振興課内
 松川町観光協会 
 電 話  0265-36-7027

2007/01/31
屋代城(千曲市)

武田晴信を武力で2度までも打ち破った村上義清でしたが、真田幸隆による「砥石城」乗っ取りに続いて、一族とされた屋代氏、塩崎氏の寝返りが、最終的に義清に葛尾城脱出を決意させたと言われています。

つまり、見方によっては屋代氏を「村上義清の喉元に刃を当て、川中島の戦いの引き金を引いた武将」とも言うことができるかと思いますが、この屋代氏の居城は現在のしなの鉄道屋代駅東側の山上にあります。(武田寝返り後、屋代氏は荒砥城に移っています)

屋代氏は村上氏に仕えたあと、武田方に寝返り、武田氏滅亡後は上杉、徳川とその主を代えた武将でしたが、そうした先を見越した機転・先見性があったせいか、家は徳川の旗本として幕末まで存続し、現在も子孫の方が国内に暮らしていらっしゃいます。

2007/01/10
葛尾城(坂城町)

村上義清公の居城は、山城である葛尾城となっている。ふもとの坂城神社から往復約2時間のトレッキングができる。

東側の尾根づたいに幾つもの堀切跡が残り、当時の山城の険しさが伺える。また、城跡から眼下に千曲川を望む眺望は雄大。

2007/01/10
高島城(諏訪市)

近世大名諏訪氏の居城。原作では山本勘助が初めて諏訪頼重の娘、由布姫を見る場面に登場しますが、当時の高島城は上諏訪茶臼山にあった山城。天文十八(一五四九)年、諏訪統治の拠点を上原城からここに移しました。

江戸時代の高島城は諏訪湖に突き出したかたちで建っており、「諏訪の浮城」「水城」と呼ばれていました。

現在は、本丸に天守、櫓、門、塀が復元され、城内では、諏訪氏ゆかりの品々が展示されています。周辺は公園として整備され、桜の名所としても知られ、多くの観光客で賑わいを見せています。

2007/01/06
小諸城址・懐古園[かいこえん](小諸市)

白鶴城、酔月城の美しい別名をもつ小諸城は、信玄が山本勘助と馬場信房に命じて築かせ、武田氏滅亡後は仙石秀久によって完成された。現在は、懐古園と呼ばれ、園内には城ゆかりの武具や古文書を展示した徴古館、藤村記念館があるほか、小諸義塾記念館、郷土博物館、動物園、遊園地などの施設が点在する。天守や本丸跡などの石積みが残り、懐古神社横の鏡石は山本勘助愛用と伝えられる。入り口の三の門にかかる額の字は徳川家達の筆。詩碑や句碑も多く、桜の名所でもある。

2007/01/06
松本城[深志城](松本市)

小笠原長時を破り松本平を手中にした信玄は、府中松本にあった深志城に注目して大改修を行った。武田氏滅亡後、長時の長男貞慶が入城し、城下町を広げて天正年間に松本城と改称した。その後、石川数正が入り、天守、櫓を建てて、現在見られる松本城が完成した。近年は太鼓門が128年ぶりに復元されるなど整備が進んでいる。

城下町松本を巡るのに便利なのが、1回100円で乗車できる周遊バス。松本城、謙信が信玄に塩を送った故事にちなんだ牛つなぎ石、蔵の町中町通り、善光寺道名所図会に当国第一の名水として紹介される源智の井戸などをカバーしている。

2007/01/06
平倉城跡[小谷城跡](小谷村)

上段、中段、下段の三段式の築城。上杉によって城を守っていた飯森盛春は、信玄の武将山県昌景に攻められて討ち死に、城は落ちた。その際、武田方では残党狩りを行い男は皆切ってしまったとの伝説をもつ「切った屋敷跡」などが残る。城跡の下を流れる中谷川を雨飾山方面へとさかのぼれば山間の“いで湯”小谷温泉に至る。

2007/01/06
荒砥城跡(千曲市)

葛尾城と千曲川を挟んで対岸に位置する城で、村上氏一族の山田氏の居城といわれる。この城をめぐって、武田、上杉の戦いが繰り広げられた。現在、櫓や矢倉、冠木門などが復元され、千曲川を見下ろす史跡公園になっている。

大河ドラマ「風林火山」のロケで実際に撮影に使用され、劇中では武田晴信の初陣の場所「海ノ口城」として登場。(2月25日放送第8回「奇襲!海ノ口城」)

2007/01/06
飯山城址(飯山市)

謙信が川中島合戦の拠点として築城。階段式に郭を配した「後堅固の城」で、12年間にわたる合戦でも落ちることはなかった。今は石垣が残る城址公園になり、桜の名所になっている。小京都ともいわれる飯山は寺の多い町。城址公園には寺めぐり遊歩道が整備され、しっとりした風情が楽しめる。

2007/01/06
海津城(松代城)跡(長野市)

信玄が北信濃への最前線基地として山本勘助に命じて築かせた深い城。それまでの山城にかわり、他の武将に先駆けて平野部に築いた平城で、甲州流築城技術を用いたとされる。城の西を流れる千曲川の水運を意識して堀とし、その自然堤防上に本丸と二の丸を築く。自然の地形を巧みに利用した堅固な造りになっている。

初代城将は高坂弾正。築城当時は「海津城」と呼ばれていたが、関ヶ原の戦いの前に当時の城主森忠政が「待城」と改めた。その後、松平忠輝が「松城」と改め、さらに真田三代自藩主幸道のときに「松代城」に改められたという。平成7年からの整備工事で太鼓門や北不明門などが復元、かつての姿がよみがえった。本丸跡の石垣に上がると、謙信が陣を張った妻女山がよく見える。桜の名所としても有名。

2007/01/06
高遠城(伊那市高遠町)

勘助曲輪の跡が残る武田ゆかりの城。
高遠は南北朝時代から諏訪氏の一族、高遠氏が支配していました。天文十四年、信玄が高遠頼継を攻略。山本勘助に命じて改築させたと言われ、伊那攻略の拠点としました。

永禄五(一五六二)年、十七歳で信玄と由布姫の子勝頼が城主となり、九年間この地を治めました。天正九(一五八一)年には信玄の五男の仁科盛信が城主となりましたが、天正十年織田軍に攻め滅ぼされます。

明治維新後、城跡にコヒガンザクラが植えられました。春になると千五百本の見事な桜が咲き誇り、南信州を代表する花見の名所となっています。

なお、優秀な人材を輩出した進徳館や中村不折、池上秀畝、江崎孝坪等の作品、高遠出身の画家原田政雄のコレクション668点を展示する信州高遠美術館も隣接しています。

2007/01/06